2011.03.11 金曜日

摂食障害・過食嘔吐

2011.03.11 金曜日

この日は金曜日でした。午後、ちょうど上司のところに話しに行っているときに

グラっ

大きく揺れ、ただならぬ気配を感じ急いで自席に戻り机の下に入りました。

机の下に入っていても恐怖を感じるほどの揺れで、壁側のキャビネットの扉がバタバタとなっていたのを覚えています。

一旦、揺れが治まって仕事に戻ったものの何度かまた揺れがあり、グラーグラーと船酔いのような感覚を感じていました。

電車は全滅で今日は帰れないかも、なんて声が聞こえてきたのが夕方6時くらい。

会社に泊まるのだけは嫌だったのでアパートまでの距離を調べたら、10kmくらい。

歩いて帰れなくもないと判断し、簡単な地図を印刷し夜8時過ぎに会社を出ました。

大通り沿いを歩いていくと、私のような人がたくさんおり夜道の怖さはありませんでした。

でも、寒かった。

この日は寒くて、ときどきコンビニで暖を取り休みながら歩きました。

歩くのに必死でふとスマホを見たら母や実家、兄弟からの着信が何件も残っており、急いでかけ直すと、心配していた、と母。

今、歩いて帰っているよ、と伝えると

気を付けて、と。

途中、道に迷ったりもあってアパートに着いたのが夜11:30。

3時間で帰れる予定だったので、結構かかったなと。

でも、不思議と疲労感はありませんでした。

テレビをつけて初めて、地震の大きさを知り、気仙沼が火の海になっている映像を呆然と見つめていました。

この日は、軽く食べシャワーを浴びそのまま就寝しました。

翌日

翌朝、福島の原発の状況を知り、とても怖くなりました。

ここも安全ではないかもしれない。

そして、恐いと思ったことにとても驚きました。

恐いの?どうして?

だって死んでもいいって、死にたいって思ってたんでしょ?

もう終わりにしたいって。

なんで怖いなんて思うの?

そう、自分に問いかけました。

恐いという感情はもうないと思っていたのです。

この日は、土曜日で彼と会う約束をしていました。

会うのはお昼からを予定していましたが、彼から電話があり

「実家に帰ったほうがいい。原発もどうなるか分からない。」

そう言われ、私はパニック状態になり急いで荷物を詰めアパートを出ました。

駅で彼と会うと、自分も一緒に行くから、と。

2人で電車に乗り、実家へと向かいました。

この日は、結局ホテルに泊まりました。

なんとなく、今実家の近くまで来ていると言い出せなかったのです。

翌々日、日曜日

一晩明け、日曜日のお昼前、実家に電話すると父が出ました。

今、帰ってきていて駅に彼といる

そう伝えると父は

そうか、じゃあ今から迎えてにいく

普段通りの声でした。

実家に着くと大変なことになったねえと父と母。

テレビがついており、津波の映像が流れていました。

母は少し緊張した面持ちでしたが、父はいつもと変わりませんでした。

父のその落ち着いたオーラで私は少し落ち着きを取り戻しました。

私は、月曜日は有休を取り、一晩実家に泊まることにしました。

彼はその日に戻ることに。

少し実家で休んだ方がいいと言われましたが、結局火曜日から会社に行くことにし、私も月曜には戻りました。

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